書評 神の亡霊(近代という物語)    小坂井敏晶 2018/7 東京大学出版会

神の亡霊(近代という物語)    小坂井敏晶  2018/7 東京大学出版会

 

フランス在住の社会心理学者の稀有な論文集。

近代の合理主義も民主主義も中世の「神の亡霊」から抜け切れず、新しい形の亡霊をつくっている・・・という。長大なので、各論文は順番に読む必要なく、読み始めて面白いものから熟読した。

6、7,8が秀逸。特に8はどんな社会、どんな民主主義が望ましいか、著者の主張の行き先が見える章になっている。

 

 

 

連載文目次と要約

 

序 近代という社会装置

人間社会は二種類の主体を捏造。一つは外部に投影される。・・・・他方、自由な主体という物語の先には、もう一つのアポリアが待つ。・・・近代では正義の根拠が個人に置かれる以上、個人の権利から出発するしかない。・・・合理的・意識的・人工的に根拠を生み出そうとする社会契約論は必ず失敗する。・・・

根拠は社会心理現象であり、システムを閉じるための虚構である。・・・近代の袋小路が私だけの幻影でなければ、問うことから始めなければならない。

1.死の現象学

○自分(一人称)にとって「死」は恐れでしかなく、実在しないもの。三人称のそれは他人事(代替可能。掛け替えのない家族・友人の死のみが実感でき、人間にとって本質である。

2.臓器移植と社会契約論 

9.堕胎に反対する本当の理由(2の展開)

○フランスやヨーロッパ大陸諸国では、推定同意の原則で脳死状態の臓器移植を推進している。これはキリスト教の肉体・精神の分離思想から来るだけでなく、英米における臓器提供を含め身体の個人所有を認める私有財産論(ロック)と、ヨーロッパ大陸における対比的な社会契約論(ルソー)が背景と、著者は見る。         

3.パンドラの箱を開けた近代   

○「近代西洋が生んだ人権思想は神の亡霊に過ぎない」。

4.普遍的価値と相対主義

○フランスの政教分離策や最近までの重罪控訴不可、裁判員制度などを例に、法制度は普遍的価値ではなく、相対化(時代状況対応)している状況を語る。

○その相対主義に対して「悪を糾弾できない」とする根強い誤解があると指摘。

法や道徳は隠蔽される虚構だ。倫理判断や裁きは合理的行為でなく、信仰だ

タブーは文化の産物で、時代が変わるとその恣意性が露になる。人権思想は現代の十戎

5.「べき論」の正体

ハマスイスラエルの捕虜不等価交換、対独協力フランス人の裁判ナシ処刑、遭難者間の人肉食生還、原発事故後の再稼働容認世論・・・はべき論では説明できない。

○法則論・目的論の誤り/キリンの突然変異による長首・・は偶然による集団現象である。

○正義論をはじめ、多くの規範論は祈り・雨乞いと同じ魔法の呪術

○集団現象を胎動させる真の原因は、それを生む人間自身に隠蔽され、虚構が捏造される。愚痴を垂れてストレスを発散するように、社会虚構は重要な機能を担う

 

6.近代の原罪  11.主体と内部神話(6と関連)

○教育の機会均等にしても階層社会はほぼ再生産される。特に日本での落し穴。マークシート方式は形式的な均等化・画一化を象徴。平等社会実現方策が既存の階層構造を正当化(巧妙な罠であり近代が必然的に導く袋小路)

○遺伝、偶然、障害・・外因等に自己責任を持ち出す社会。平等は実現不可能とし格差を弁明する。格差を正当化する必要があるから人間は自由だと社会が宣言する。前近代は大きな意志が関与すると感じた人は救われる。近代はこの外部を消し去り、原因や根拠の外部化を目論む故、自己責任を問う強迫観念が登場する。

◯神の亡霊が嗤う。お前たちは神を殺したがその陰画として自由意志という化け物を生み出しただけ。

7.悟りの位相幾何学

○2015年シャルリ・エブドのテロ事件後、その週刊誌が翌週800万部になったのは、北アフリカ出身者と移民に対する不安を持つフラン人の反発が激しいことを象徴する。一般のイスラム教徒を責めることが出来ないのは、日本侵略の責任を現在も問う韓国の反日も同じだが、受ける側も冷静になれず、責任の無い国民も反発して反撃するのはなぜか?

同一化という心理錯誤に陥ると、直接の加害者と同じ論理になってしまう。

◯「移民排斥や国際紛争のメカニズムは自国民と外国人双方の防衛反応が自動的に増幅する循環運動である。この悪循環に歯止めをかけるのはシステムの論理(直接解決法は負のフィードバックがかかる?)に惑わされずメタレベル(別の視点・次元?)から介入する必要がある。」という。(?は評者解釈)  

○著者は不眠症解決法、釈迦の助言、“位相幾何学の最短距離は曲線”等多数の例を引いて、虚構」をポジティブなものとして考察し始める。 これが「悟りの位相幾何学

8.開かれた社会の条件

○まずミッテラン大統領の私生児問題、サルコジ政権下のラシダ法相の愛人・私生児ゴシップを例にフランスの個人主義・個人生活不干渉と、不倫に対する日本社会の断罪を併置する。

○この後、消極的自由(国家権力・他者からの自由/ホッブス、J.S.ミル起源)と

     積極的自由 (到達すべき理想等への自由/カント、ルソーがこの論者)とした上で、

後者は全体主義につながる危険な思想」と断じる。(プラトン・・・ロベスピエール、スターリン、毛沢東・・・) 普遍的や正しい生き方がどこかに存在するという信念が問題である。

政治哲学は正しい公共空間として社会を構想するが時間を抜いた水平的イメージで人間関係に迫る・・・とその根拠を正当化する根拠は何かという問いが繰り返され・・・正当な権力構造を実体的に取り出す試みは失敗する。(全体主義)  根拠はどこにも存在しないからだ。

○人間の相互作用から社会が出来る。・・・だが人間の思惑通りに歴史は進行しない。・・社会を営む情報はいたる所に分散され全体は誰も制御できない。社会は構成員の意識や行為と必然的に齟齬を起こす。・・・歴史には目的もなければ根拠もなく・・・やり直しが利かない。

    そのおかげで人間は(幻としての)真理を手に入れる。

 

○歴史を積み重ねるにしたがって普遍に近づくのでもない。ここで発想を転換しよう。正しい社会の形はいつになっても誰にもわからない。だからこそ現在の道徳・法・慣習を常に疑問視し、異議申し立てする社会条件の確保が重要だ。

○この後、規範論を斥ける多様性、情報蓄積を通した変容、弱者には優しくても逸脱者・反抗者を排除する均一社会(日本はその傾向)・・・を説き、「今日の異端者は明日の救世主かもしれない。〈正しい世界〉に居座られないための、防波堤、全体主義に抵抗するための砦である。」と結論。

10.自由・平等・友愛   フランス革命の功罪?

自由・平等は大革命から仏共和国民の権利であるが博愛は後から加わった道徳である。聖書の言葉が背景に見えるのはなぜか。ロックの社会契約論も個人主義を突き詰めたが宗教的虚構の排除は不可能である事実を露にした。社会秩序を保つためにこのブラックボックスを挿入した。

最終回 真理という虚構 

◯数学(自然科学)と同じ論理構造に歴史が従うなら、世界は原初から決定されているはず。

 法則を破る出来事、因果律に楔を打ちこんで方向を変える契機の積み重ねが歴史である。 時間を捨象する科学に経時変化は捉えられない。

・・・・そして人間がいる限り姿を変えながら神の亡霊は漂い続ける

 

 

 

この本の僕なりの読み方

  • フランス流演繹哲学体系の批判とイギリス流経験哲学の見直し?

純化すれば、著者はパリ大学教員であるが故にフランスの思考風土を再検討しているのではないかという第一感があった。更にこれらを止揚する現代(これからの)の政治哲学を模索しているようにも伺える。なぜならこの2極の哲学展開時代には現代的全体主義も存在しなかったし、これを克服したとしてもグローバルAI企業独占世界にどのような社会になるかは未知の部分が多く、規範・思想・正義・自由は変化する(そもそも存在しない)することが気づき始めた時代に入ってきたから。著者は未来のことも予測しない。著者の提案的部分は「現在の道徳・法・慣習を常に疑問視し、異議申し立てする社会条件の確保」であろう。

  • 消極的自由をLiverty、積極的自由をFreedomと訳してみると?

 ◯積極的自由は「全体主義につながる思想」と言っている。そもそも日本語と同様、仏語ではFreedomに相当する語はないのでは?あえて言えばvolonté livreになるとしても、「自由意志」は著者が近代における神の亡霊と定義している。ルター派プロテスタント、M・ウェーバや日本では小林秀雄(中野剛志紹介)もFreedomを自立的な自由と言っており、これはまさに著者が虚構と捉える自由である。 

 既成哲学を批判する稀有の語り口ではあるが、積極的自由は「責任を強いる自由」消極的自由は「権利としての自由」と言い換えた方が読者にはわかりやすい。

 乱暴に言えばドイツ風自由、フランス風自由になるが、著者な望まないに決まっている。 

誤解を呼びやすい「虚構」という用語

 ◯凡俗な人間が読むと、「逸脱者・反抗者の存在が全体主義から世界を救うのだ」はまるで劇画コミックの言いぶりだ。しかし本書を読むのはかなりハードな作業である。アニメ作品では信じる世界が単純明快だが、小坂井の明快な結論を理解するのに、疑い・問い直す作業(歴史の実証、社会心理実験,多様分野の研究者の引用・・)に付き合いながら読むことになる。本文の3倍ある注は、興味あるところを単語の列から拾うとでもしないと、何の文脈なのか迷路に入ってしまう。

 ◯著者の「虚構」という概念は、人間社会に必要なもの(必要悪とは言っていない)ということも、流し読みでは見逃してしまう。書き方も項目的でなく、長文叙述的になるフランス語の論文風である。それだけの価値ある本で、恐らく他の「虚構」シリーズを読むと更にはっきりと見えてくるのだろう。